「小諸なる古城のほとり・・・」
この言葉から始まる、文豪 島崎藤村の「千曲川旅情のうた」を、藤村自身の筆跡のまま板額に再現した商品です。
島崎藤村は明治学院での恩師である木村熊二の招聘で明治32年から6年間小諸に住み、
小諸義塾の英語教師として職を得ながら執筆活動を続けました。
小諸時代に書かれた代表作に「千曲川のスケッチ」や「破戒」があります。
藤村は小諸で結婚をし長女をもうけました。その時代に作風が詩から散文へ移り変わり
写生文としての傑作「千曲川のスケッチ」が生まれたのです。
小諸時代は藤村にとって作家人生を方向づけた重要な時期だったと言えるでしょう。
「千曲川旅情のうた」は、文芸雑誌「明星」の明治33年創刊号に掲載された詩と
同年発行の「文界」に掲載されたふたつを合わせて、
最終的に昭和2年刊の「藤村詩抄」で現在の形にまとめられました。
この商品はそのうち「一」の部分を額に彫り込んであります。
栃ノ木の原木を、素朴な木肌の凹凸を上辺に生かしたまま厚板として切り出し、
木目が見えるような塗装を施してあります。
文字はひと文字ずつ彫り込んだあと白く彩色した、手間のかかっているものです。
製造元が版権を確保して、藤村の筆致をそのまま再現した貴重な板額、
現在ではおそらく当店でしか手に入らないと思います。
島崎藤村ファンならば見逃せないでしょう。
製造元ですでに廃番となっているため、在庫品限りの販売です。
「千曲川旅情のうた 板額」の商品ページはこちら
![千曲川旅情のうた 40号 C416](https://www.makino-mingei.jp/wp-content/uploads/2019/09/C416a-300x300.jpg)
島崎藤村ファンの方へ
当店の先代が小諸において撮影した写真を紹介するコラム、
「文豪 島崎藤村を撮影した貴重な写真」もご覧ください。
なお、小諸城趾懐古園内には「千曲川旅情のうた」の詩碑が建てられています。
これは有島生馬の発案により、昭和2年に藤村の友人や門下生によって作られました。
詩碑の文字はもちろん藤村の自書。鋳造は高村豊周(高村光雲の三男)によるものです。
![藤村詩碑](https://www.makino-mingei.jp/wp-content/uploads/2020/06/20200415_090856-1024x768.jpg)
懐古園内にある「藤村記念館」へもぜひお立ち寄りください。
![藤村記念館](https://www.makino-mingei.jp/wp-content/uploads/2020/06/20200608_095635-1024x683.jpg)
「千曲川旅情のうた」
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に滿つる香も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む